良くも悪くも、騒いでる。
「いま何ができるのか」なんて番組まで放送されるらしい。
マスではどうせすぐ忘れられるか、ねじ曲げられるかするんだろうけど…。
いいタイミングだから書いてみよう。
何ができる?どう思う?
・自殺というのは字面だけであって、本当は他殺である。ということをきちんと考える。
・オカルトやサブカル族で周りと何の関係もなく死んでいく人と、悩んで死ぬ人は別に考える。前者はお好きなように。今は後者の話。
・安直に「命の大切さを教える」とかいうようなことをやってはいけない。
・そういう教育をしようとするバカどもに口をきかせてはいけない。
・命を大切にしない、死ぬのが悪い、という死んだ人に責任があるようなイメージにつながるからである。
・よかれと思っても、やってはいけないことなどたくさんある。
・一般的に自殺とよばれるものは他殺である。
・何が原因?原因がひとつであることなどない。
・確実に言えるのは、周りが原因(つまり殺人者)であるということだけである。
・たとえ自殺した子供の親であってあっても殺人者のひとりである。
・勝手な解釈をせず、現状はそういう物だと、素直に、受け入れよう。
(自分の判断を状況に応じて正しく修正すること、の意味。色眼鏡がいけないという意味ではない。)
・それができないならば、他人への干渉はいっさいすべきではない。
・つらいときは思考を逃がす。逃がし方は人それぞれで、かつ自由である。
・死にたいなって思うことは実際には、だれでも直面するシチュエーションのひとつであって、それ事態が悪いなんてことはない。
・ブログなどで軽率に悲劇のヒーロー/ヒロインを演じたり、生ぬるい慰め合いを延々繰り返す人は、ほどほどに見捨てる(流れを切る)か、無視するか、もしくは、周囲が対応する。なぜなら、そういうトランザクション・ゲームからだけでは、よい影響は決して生まれることはないから。しかも、それらが醸し出すマイナスの雰囲気は、他に悪影響を与えるから。
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いちばん回避したいのは“必要以上に”ふさぎ込むことなんだろうと思う。
本人から見た「周囲の人」を、自分の気持ちの中か、実際の営みのなかでちゃんと作る。
自分が「周囲の人」の立場なら上の項目を考える。
考えて導き出すのでも直感でもいい。
本人もしくは周囲の人が、その状況を、動いている時間の中で、判断し、
その人としての時間が流れている状態にすること、ただそれだけがゴールではないか。
何が出来るかといったら、ひとりの人間としては、(干渉するんじゃなくて)判断を
ひとつひとつ確実にこなすことだと思う。どう思うかは、上記の項目。
今の時点での私の考えはこんな感じ。
(追記)
妙に理屈っぽいことを書いたけど、基本的には、
誰かが楽しくやってる姿を見てもらうのがいいのかな、って思う。
どうしようもない事は多少なりとも誰にでも起こりうる事だし…。そういうときは理屈じゃないし。